サンショウウオのあたまのなか

サンショウウオ大好きな女子大学生が思っていること、まただれかに伝えたいことを人知れず書いているブログです。等身大の私の考えのぞいてみてください。サンショウウオについて出てくるかは…

人生2回目の矯正をします。①  ~私の小児矯正の記憶~

タイトルのとおり、もう少ししたら人生で2回目の歯列矯正が始まります。

それに伴い、私の矯正記録をつけようと思うのですが、その前に今回は1回目の小児矯正の子供側の記憶について書きだそうと思います。

矯正について悩むだれかに、ひとりの女子大生の感じていることが届きますように。

 

※この記事は治療法をお伝えするものではなく、矯正していた子供のころ感じていたことをお伝えしています。医学は日々進歩します。この記事で伝えている治療法に関してはあてにせずに、医院で言われたことに従ってください

 

なんで小児矯正することになったのか

私が歯医者に通うことになったのは妹が3歳児検診で「反対咬合だから矯正しないと将来、顎関節症になる」と言われたから。妹を連れていくのに私の歯を見たら私も反対咬合であることが判明しました。当時まだ小学校にも入学していない私はよくわからないけど定期的に歯医者へ連れていかれるという感じでした。不満も特にありません。まあ親に全て決めてもらっている頃なのでね(笑)

 

小児矯正が始まるまでの話

 通っていた歯医者は小児矯正が専門らしく(あとで調べて技術が高いことが判明)、口の中が小さいから口の体操をしろとか、舌の位置がおかしいとか指導受けていた。このとき親が見張って一緒にお風呂の中で体操をしていた。別にこのときつらいとか何の感情もなく、10まで数えるとかそういうのと同じくらいに楽しんでいた。

 小学校に入学するころには周りの子供たちは前歯が抜け始めた。小学1年にもなると多くの子が歯の生え変わりが始まり、奥歯(6歳臼歯)が生えてきた。私は平均よりも身長が大きかったが、ガリガリだった。体重が足りないから噛む力も足りなくて歯が生えないと言われていた。ちょっとだけ周りから遅れていることが悔しかった。

 そんな私は小学2年の秋、初めて永久歯が生えてきた。そう、抜ける前に永久歯が生えてきて、2枚歯となり、初めて麻酔で乳歯を抜くことになった。麻酔を打たれるときちくっとするのも痛かったし、歯を引っ張られる感覚は残るからそれも痛かったし、なにより歯を抜いた後お腹が減っても食べられず、唇麻痺してるからよだれ止まらないし、血の味がするのがつらくて泣いてました(笑)

私の記憶では前歯全てが2枚歯で4回この抜歯をした気がします。回数を重ねるごとにだんだん痛みや不快感は慣れて耐えられますが、治療後食べられない時間が生じて空腹と戦い続けなければならないのはずっと苦痛でした。もしお子様をこれから抜歯に連れていく親御さんが見ていらしたらきちんと吐かない程度に食べさせてください(笑)

 

 小児矯正がはじまる

矯正が始まったのは小3の冬休み。まだ小さかった私は体感4時間くらいブラケット装着にかかった気がします。(実際はさすがに4時間ではないはず)

小児矯正だからか正常な歯の抜歯などはしない方針で、みなさんがイメージする通りのあの銀色の矯正器具をつけられました。器具をつけるとき一番しんどかったのは奥歯に全て金属の囲いをつけられること(矯正バンドというらしい)。歯茎にあたる感覚も痛いし、歯の間に無理矢理入れてくからすごく窮屈でした。

ここから地獄でした。まず3日間は痛すぎてしゃべりたくない、口を閉じると唇に器具が当たるのが痛くてポカーンとした口で、バナナ、ヨーグルト、おかゆ以外は食べれませんでした。パンを噛むのすら痛くて痛くて・・・これだけつらいから冬休みだったんだなと考えながら、あまり矯正の意味を理解できなくて怒ってました(笑)

ちなみに先ほどの通り、2枚歯だった影響で歯ががたがたで引っ張られる力で痛かったです。

その後月1で調整しに行くのですが、その後3日間くらいは引っ張られているな~って感じていました。あと、毎回めちゃくちゃ怒られました。口の体操が足りないから口がせまい、かむ力が足りない、唇の力が足りないだった気がします。痛さより、とにかく怒られること、あと親が予約の意味がないほど時間がずれこむことに対してとても不機嫌になることで歯医者に行く日はとにかく周りの大人が怖くて怖くて・・・

 

矯正中つらかったこと

矯正期間中一番つらかったのは同好会に入り、運動していたのですが、よく顔面にボールがあたり、矯正器具が刺さって口内炎はできるし、唇から毎日出血していたこと。当時の自分に会えるなら絶対にリップ、もしくはワセリンを塗れ。多少はましだ。と伝えたいです。あと、肉を噛み切れないことや、友達が食べていてもくっつきやすいガムやキャラメル、お団子なんかが食べられなく断るのも少しつらかった。当時の私が見た目を気にする子ならもうちょっと矯正に前向きになれたかもしれません。将来顎がはずれるかもしれないからとか言われてもよくわからないし、親にいわれてやっているだけで本当に嫌でした。その時期は特に両親とうまくいかず、同好会でもいじめられていたことも重なり地獄でした。どうか矯正中の人間関係がうまくいきますように。

 

そういえば矯正が始まってからは2枚歯になりませんでした。抜かれていたのかな?覚えていません。

 

小学5年生になるころには前歯もそろい始め、そうなると自分の歯が銀色なのがちょっとしたコンプレックスになります。そして矯正を終わるタイミングが私はわからなかったのでいつまでこのままなんだろうと漠然とした不安が湧き出ました。

 

ブラケットが終わる!!!

小学6年になるころにブラケットを外すことになります。うれしかったです。外される最中は少しきつかった気もしますが、外れることのうれしさが勝っていました。外れたあとリテーナーという歯を保持するための機械に切り替わるのですが、それをつくるために歯の型がとられます。これがしんどかった。大人になり、他の歯医者に行って分かったことですが、あの歯医者で使われていた器具は古くて、重くて、口にめっちゃ当たっていました。たぶん器具のせいでつらさが5割ましくらいでした(笑)

 

リテーナーは歯医者によって、そして個人によって言われることは違うと思いますが、私は歯磨き以外はずっとつけろと言われていました。最初のころは違和感もあるし、ご飯を食べるときたまに外れてしまって、ちょっと苦戦していました。でもブラケット時代よりずっとよかったです。そんなリテーナーがたった1年で終わりました。歯もきれいにそろっていて歯が銀ではなくて白くてとてもうれしかったのを今でも覚えています。なにより歯医者で怒られることから解放されました。

 

矯正終了

ただ大問題があって、自分が矯正する必要性を言葉で理解できていてもこころの中では「別に歯並びがわるくてもいいじゃん」と思っていたので、歯を大切にしません。というか歯という存在が大っ嫌いでした。なので歯磨きも適当になってしまいまして、後に虫歯が大量にできます。あと、リテーナーが外れるのと同時に中学に入学するのですが、このときにまだ歯が生え変わり終わっていません!!!たぶん6本くらい中学で生え変わりました。ちなみに6歳臼歯が生えそろったのも11歳とかでした。

 

 

 

とりあえず小児矯正のつらかった記憶はここで終わりです。なぜまた矯正をする必要があるのかや大人の矯正の準備については次回以降お伝えします。